水を楽しみ、時を測り、水に祈った飛鳥人。三つの遺跡から、知られざる宮廷生活をたどります。
前回は、飛鳥川を挟んで向かい合う川原寺跡と橘寺跡を訪ね、母への鎮魂と聖なる誕生という、対照的でありながらどこか響き合う二つの祈りの物語をたどりました。
今回は少し趣向を変えて、飛鳥宮を取り巻く三つの遺構を歩いてみます。
飛鳥京跡苑池、飛鳥水落遺跡、そして酒船石遺跡。
寺院でも古墳でもありません。
そこに残されているのは、庭園、水時計、そして今なお用途が完全には解明されていない不思議な石造物です。
庭園で人をもてなし、水時計によって時を知り、水を使った祭祀を行う。
この三つの遺跡をたどると、政治の舞台としてだけではない、飛鳥宮廷の日常と精神世界が少しずつ見えてきます。
飛鳥京跡苑池|飛鳥宮の傍らに造られた宮廷庭園
飛鳥京跡苑池は、飛鳥宮跡の北西、飛鳥川右岸に位置しています。
その全貌が明らかになり始めたのは、平成11年(1999年)からの発掘調査でした。
この付近ではすでに大正5年(1916年)、「出水の酒船石」と呼ばれる石造物が出土していました。
その周辺を調査したところ、幅約5メートルの陸橋状の渡堤を挟み、南北二つの池と北へ延びる排水路からなる、大規模な苑池遺構が姿を現したのです。
石を敷き詰めた南池。
南池は東西・南北ともに約60メートル。
北に向かって開く扇形をしており、池底には平らな石が丁寧に敷き並べられていました。
池の中には島状の石積みも設けられています。
興味深いのは、池の水が非常に浅かったと考えられていることです。
水そのものを深くたたえるというより、浅い水を通して美しく敷かれた石を眺める。
そこには、すでに後世の日本庭園へと通じていくような「水と石を楽しむ」感覚が感じられます。
池の南端では水を導くための石造物も確認されており、かつてはここを水が流れ、庭園の景観を彩っていたのでしょう。
性格の異なる北池。
渡堤の北側に造られた北池は、南池とはかなり様子が異なっています。
南池より深く造られ、貯水施設としての機能を持っていた可能性も指摘されています。
同じ苑池の中にありながら、浅く開放的な南池と、深さを持った北池。
そして、その二つを一本の渡堤が結んでいました。
こうした構成は中国大陸や朝鮮半島の宮廷庭園から影響を受けながらも、そのまま写したものではありません。
外来文化を受け入れながら、この飛鳥の地に合う形へと作り変えていった――。
飛鳥京跡苑池は、古代日本の宮廷庭園がどのように生まれていったのかを考えるうえでも、非常に重要な遺跡なのです。
ここで天皇や宮廷の人々が景色を眺め、宴を開き、ときには外国から訪れた使節を迎えたのでしょうか。
建物の姿は失われても、水面を前に人々が過ごした時間を想像すると、飛鳥宮が急に人の暮らす場所として近づいてくる気がします。
飛鳥水落遺跡|日本の「時間」が動き始めた場所
飛鳥京跡苑池から飛鳥川を越え、飛鳥寺の西側へ。
そこにあるのが飛鳥水落遺跡です。
ここは、中大兄皇子――のちの第38代・天智天皇――が造ったと『日本書紀』に記される、日本最初の漏刻(水時計)に関係する遺跡と考えられています。
『日本書紀』には斉明天皇6年(660年)、皇太子であった中大兄皇子が初めて漏刻を造り、人々に時を知らせたと記されています。
発掘調査では、貼石を施した基壇の上に建てられた4間四方の総柱建物と、水を扱うための銅管、木樋、枡、黒漆塗りの木箱などが見つかりました。
普通の建物とは明らかに違います。
そこには、「時間を測る」という目的のために設けられた、当時としては最先端の設備が置かれていたと考えられているのです。
水で時間を測る「漏刻」
漏刻とは、水が一定の速度で移動する性質を利用して時間を測る装置です。
飛鳥資料館には、中国に伝わる資料などを参考に復原された漏刻の原寸大模型が展示されています。
いくつもの水槽を段階的につなぎ、一定の速度で水を流し、最後の水槽の水位によって時刻を読み取ります。
飛鳥時代に、これほど精密な仕組みを使って時間を測ろうとしていたことには驚かされます。
しかし、さらに興味深いのは、
「なぜ国家が時間を知る必要があったのか」
ということです。
政治が複雑になれば、役人が集まる時間、儀式を始める時間、宮廷で物事を進める時間も統一しなければなりません。
時間を測り、皆に知らせる。
それもまた、国家を形づくっていくための重要な仕組みだったのでしょう。
6月10日「時の記念日」へ
それから11年後。
天智天皇10年(671年)、都はすでに近江大津宮へ移っていました。
『日本書紀』には、天智天皇が漏刻を新しい台に設置し、鐘や太鼓を鳴らして人々に時刻を知らせたと記されています。
その日を現在の暦に換算すると6月10日。
この故事にちなみ、大正9年(1920年)に6月10日が「時の記念日」とされました。
私たちが当たり前のように時計を見て、
「そろそろ行こう」
「もうこんな時間」
と考える、そのずっと遠い原点の一つが飛鳥にあります。
現在の水落遺跡には建物基壇や柱位置が復元整備されており、一見すると少し無骨な石と柱の並びです。
けれど、その地下では約1360年前、日本の「時間」が動き始めていた。
そう思って眺めると、見え方が少し変わります。
酒船石遺跡|丘の上に残された謎の石
飛鳥水落遺跡から南東へ。
飛鳥寺の南方に広がる丘陵にあるのが、酒船石遺跡です。
その名前の由来となった酒船石は、長さ約5.5メートル、幅約2.3メートルという大きな花崗岩。
平らな表面には、いくつもの円形・楕円形の窪みと、それらを結ぶような溝が刻まれています。
初めて見ると、
「これは一体、何に使ったのだろう?」
と思わず立ち止まってしまう形です。
酒造りに使ったという説、薬を調合したという説、水を用いた祭祀施設だったという説――。
さまざまな説がありますが、その用途はいまだ決着していません。
だからこそ、飛鳥らしい遺跡でもあります。
分からない。
けれど、確かに誰かが目的を持ってこの巨石を削った。
その「分からなさ」が、かえって想像を誘います。

丘全体が造り変えられていた。
平成4年(1992年)、酒船石が置かれた丘陵の北斜面から石垣が発見されました。
調査が進むにつれ、この丘では大規模な造成が行われ、石垣をめぐらせた特別な空間が築かれていたことが分かってきます。
『日本書紀』には、斉明天皇2年(656年)、宮の東の山に石を積み、高殿を造ったという記事があります。
この記述との関連も注目され、かつては斉明天皇の「両槻宮」と酒船石遺跡を結びつける説も唱えられました。
ただし、酒船石遺跡そのものを両槻宮と断定することはできません。
飛鳥には、まだ答えの出ていない問題が本当にたくさん残されています。
亀型石造物|水が流れた祭祀の空間
酒船石遺跡をさらに有名にしたのが、平成12年(2000年)に丘陵北西側の谷部から発見された亀形石造物です。
亀を思わせる形に石を削り、頭部から入った水が背中の円形部分にたまり、尾の側へ流れ出す構造になっています。
すぐそばからは小判形石造物も見つかりました。
さらに水を供給したと考えられる施設も確認されており、この場所全体が「水」を重要な要素とする特別な空間だったことが分かっています。
何のための水だったのでしょう。
神に捧げる水。
身を清める水。
何らかの儀式に使われた水。
道教的な思想との関係を指摘する説もありますが、まだ分からないことも少なくありません。
ただ、苑池でも、水落遺跡でも、酒船石遺跡でも、「水」が重要な役割を担っていることには気づかされます。

水を楽しみ、水で時を計り、水に祈る
飛鳥京跡苑池では、水を眺めながら人々が集いました。
飛鳥水落遺跡では、水によって時間を測りました。
そして酒船石遺跡では、水を使った何らかの祭祀が行われていたと考えられています。
水を楽しみ、水で時を測り、水に祈る。
この三つの遺跡を一緒に歩くと、飛鳥宮という場所が単なる政治の中心ではなかったことが見えてきます。
大陸や朝鮮半島から新しい文化や技術を学び、それを受け入れながら、自分たちの形へと作り変えていく。
約1400年前、この小さな飛鳥の地で、新しい国をつくろうとした人々は、政治制度だけでなく、庭園を造り、時間を測り、祈りの空間まで形づくっていました。
飛鳥を歩いていると、何もないように見える場所ほど、立ち止まりたくなることがあります。
石がある。
溝がある。
水が流れていた跡がある。
そして、その小さな痕跡の向こう側に、今とはまったく違う世界が広がっている。
一一情報・交通一ー 飛鳥京跡苑池・飛鳥水落遺跡・酒船石遺跡はいずれも奈良県明日香村にあり、近鉄🚃「橿原神宮前駅or「飛鳥駅」から飛鳥周遊🚌バスや徒歩🚶、自転車🚲などを利用して巡ることができます。⚠️)バスの本数は少ないのでご確認ください。
三遺跡は飛鳥宮跡や飛鳥寺跡とも近く、飛鳥宮周辺の遺跡をまとめて歩くコースにも適しています。
飛鳥資料館には、飛鳥水落遺跡の漏刻の原寸大復原模型や遺構模型などが展示されています。
現地を訪れる前後に立ち寄ると、遺跡の構造がより分かりやすくなります。
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