法輪寺|焼失を超えて甦った、斑鳩三塔のもう一つの物語

奈良。時々京都。

飛鳥時代から続く三重塔は、昭和19年の落雷で焼失しました。

それでも人々は諦めず、幸田文や西岡常一らの力によって塔は再び斑鳩の空へ。

法輪寺の再建物語をたどります。

前回は法起寺を訪ね、法隆寺・法起寺・法輪寺の三つの塔が、「斑鳩三塔」と呼ばれてきたことをご紹介しました。

その中で、創建当初の姿を今に伝えるのは法起寺だけ、と書きました。

それは、もう一つの塔――法輪寺の三重塔が、かつて焼失という大きな悲劇に見舞われたからです。

今回訪ねる法輪寺は、飛鳥時代に始まる古寺でありながら、昭和という比較的新しい時代にいったん塔を失い、そして多くの人々の願いによって再び甦った寺でもあります。

古代から続く寺の歴史と、現代に生きる人々の思いがひとつにつながる。

法輪寺は、そんな少し異色の魅力を持つ寺だと思います。

三井の地に伝わる、二つの創建伝説

法輪寺は、斑鳩の里の北方、三井(みい)という地にあります。

そのため、古くは三井寺とも呼ばれてきました。

この「三井」という名は、聖徳太子が飛鳥から三つの井戸をこの地に移したことに由来すると伝えられています。境内の西北には、太子ゆかりとされる国史跡「三井」が今も残り、寺の由緒を静かに物語っています。

法輪寺の創建については、古寺らしく、はっきり一つに定まらないところがあります。

伝えられているのは、大きく二つの説です。

一つは、推古天皇30年(622年)、聖徳太子が病に倒れた際、その子である山背大兄王が、さらにその子・由義王らとともに、太子の病気平癒を願って建立したという説です。

もう一つは、天智天皇9年(670年)に斑鳩寺、すなわち法隆寺が焼失した後、百済開法師・圓明法師・下氷新物の三人が力を合わせて建立したという説です。

前者であれば、法輪寺は法起寺と同じく、山背大兄王が父・聖徳太子の思いを継いで築いた寺ということになります。

後者であれば、法隆寺再建と深く関わる寺ということになります。

どちらの説が正しいかを断定するのは難しいのですが、少なくとも言えるのは、法輪寺が斑鳩の仏教文化の中で重要な位置を占めていたということです。

二つの伝承が並んで残っていること自体、この寺の来歴の奥深さを感じさせます。

発掘調査が明かした、飛鳥の大寺の姿

法輪寺の姿をよりはっきり伝えてくれたのは、昭和に行われた発掘調査でした。

石田茂作博士による調査によって、法輪寺の伽藍配置は法隆寺式であり、その規模は法隆寺西院伽藍のおよそ三分の二であったことがわかっています。

出土した瓦の文様も法隆寺のものによく似ており、この寺が法隆寺と深い関係を持っていたことがうかがえます。

また、寺に伝わる薬師如来坐像や伝虚空蔵菩薩立像は、いずれも飛鳥様式を伝える仏像です。

こうした遺品の存在から見ても、創建の細かな時期に議論はあるにせよ、7世紀末頃にはかなり整った寺観を備えていたと考えられています。

平安時代に入ってからも、十一面観音菩薩立像、弥勒菩薩立像、地蔵菩薩立像、吉祥天立像、米俵毘沙門天立像など、多くの仏像が新たに造られています。

これは、法輪寺が単に古代の遺跡として残っていたのではなく、後の時代にも信仰の場として息づき続けていたことを示しています。

中世の変遷と、正保の大風

鎌倉時代の記録には、法輪寺の建立の様子が法隆寺に似ていたことが記されています。

当時は金堂、講堂、塔、食堂などが建ち並び、かなり整った寺観を保っていたのでしょう。

しかし中世の寺院に多いように、法輪寺もまた長い歴史の中で火災や災害に見舞われます。

南北朝時代には炎上の記録があり、その後の縁起類に残る伽藍の姿との整合性をめぐっては議論もありますが、少なくとも寺が幾度も困難を経験したことは確かです。

大きな転機となったのは、正保2年(1645年)の大風でした。

この暴風によって、金堂・講堂・中門・回廊・食堂などはことごとく倒壊し、かろうじて三層目を吹き飛ばされた三重塔だけが残ったと伝えられています。

広い伽藍を失い、傷ついた塔だけが立つ――。

その姿を想像すると、当時の荒廃の大きさが胸に迫ります。

けれども、法輪寺の歴史はここで終わりませんでした。

秋桜のさく頃・三重塔

寳祐上人による復興

江戸時代中頃、法輪寺の荒れた姿を見て、再興を志した僧がいました。

寳祐上人です。

寳祐上人は、寺に伝わる妙見菩薩信仰を広めながら、復興のための勧進に尽くしました。

元文4年(1739年)には三重塔の修復が始まり、その際には塔の心礎から仏舎利が発見されたと伝えられています。

寳祐上人の没後は、弟子の大圓上人がその志を受け継ぎ、宝暦10年(1760年)に塔の修理を完成させ、さらに翌年には金堂・旧講堂・南大門を復興しました。

こうして、荒廃からおよそ一世紀近くを経て、法輪寺は少しずつ寺観を取り戻していきます。

一気に甦るのではなく、長い時間をかけて、一つずつ立て直されていく。

この地道な歩みこそ、古寺の歴史らしいところかもしれません。

昭和の落雷消失ーーそして再建へ

けれども、法輪寺にはさらに大きな試練が待っていました。

昭和19年(1944年)7月21日、三重塔が落雷によって炎上し、焼失してしまったのです。

飛鳥時代以来の姿を伝えてきた古塔が、一夜にして失われる。

それは、斑鳩の歴史にとっても非常に大きな痛手でした。

この再建に立ち上がったのが、当時の住職井上慶覺師です。

しかし、焼失によって国宝指定が解除された建物には公的補助が及ばず、再建資金はほぼ寄付に頼るほかありませんでした。用材を整え、ようやく再建への道が見え始めた頃には、慶覺師自身が病に倒れ、さらに大阪万博前の建築ブームで人件費も高騰し、計画は困難を極めます。

この窮地に手を差し伸べたのが、作家の幸田文でした。

父・幸田露伴の『五重塔』に深い縁を持つ彼女にとって、法輪寺の再建は他人事ではなかったのでしょう。著作権料を寄付し、自ら企業や個人を回って浄財を募り、講演を重ね、ときには官庁と交渉し、再建運動を支え続けました。

工事期間中には斑鳩に仮住まいし、着物姿で足場を登って工事の進み具合を見守ったという話も残っています。

集まった支援はおよそ2万人。

その浄財によって、ついに再建は動き出します。

西岡常一棟梁が積み上げた、新しい三重塔

再建工事の中心を担ったのは、法隆寺の昭和大修理にも携わった建築史家竹島卓一博士、そして「最後の宮大工」とも称される西岡常一棟梁でした。

再建にあたっては、耐震性を考えて鉄骨を入れるべきだという意見もありました。

しかし、西岡棟梁は、明治修理で用いられた金属が木を傷めた実例を踏まえ、ヒノキだけで組む純木造にこだわりました。

この論争は新聞紙上でも話題となるほどでしたが、最終的には鉄骨を使わず、飛鳥様式を尊重した木造の塔として再建されることになります。

そして昭和50年(1975年)、新しい三重塔がついに完成。

焼失から31年を経て、落慶法要が営まれました。

失われた古塔そのものが戻ったわけではありません。

けれど、ここに甦ったのは、単なる建物ではなく、古代の塔を惜しみ、再びその姿をこの地に立たせたいと願った人々の心だったのだと思います。

現在の法輪寺

現在の法輪寺には、焼失を免れた釈迦如来坐像や四天王像、そして仏舎利が塔内に納められています。

また、昭和35年(1960年)に建てられた収蔵庫には、飛鳥時代の薬師如来坐像や伝虚空蔵菩薩立像をはじめ、平安時代の十一面観音菩薩立像、弥勒菩薩立像、地蔵菩薩立像、吉祥天立像、米俵毘沙門天立像など、多くの仏像が安置されています。

境内には、歌人・會津八一が法輪寺の十一面観音を詠んだ歌碑も立ち、ここが古くから人々の心を惹きつけてきたことを感じさせます。

法隆寺や法起寺に比べると、法輪寺はやや落ち着いた印象かもしれません。

けれど、その静けさの中には、焼失と再建という、ほかの寺にはない物語が息づいています。

おわりに

飛鳥の匠が組み上げた塔が焼け落ちても、

それを惜しみ、もう一度この地に塔を立たせたいと願う人々がいた。

法輪寺の三重塔は、そのことを静かに伝えてくれる存在です。

法隆寺、法起寺、そして法輪寺。

斑鳩三塔をめぐる旅は、それぞれの塔の違いを見るだけでなく、時代ごとに祈りがどのように守られ、受け継がれてきたのかを感じる旅でもあるように思います。

法輪寺は、古代の寺であると同時に、現代の人々の力によって甦った寺でもあります。


一一次回一ー    舞台を斑鳩から奈良の町へ移し、元興寺を訪ねます。
飛鳥寺から受け継がれた法灯は、平城京の中でどのような姿を見せたのでしょうか。
古代寺院の記憶と、ならまちの風景が重なる元興寺を歩きます。
一一情報・交通一一   法輪寺へはJR🚃法隆寺駅→奈良交通バス🚌→中宮寺前下車→徒歩🚶‍➡️15分
季節の良い時にはサイクリング🚲もおすすめです。法輪寺は斑鳩の北の端三井の里にあります。近くには三井の井戸・法隆寺東塔伽藍・法起寺・中宮寺、少し足を伸ばして、慈光院。松尾寺があります。
🅿️あります。
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