飛鳥美人を残した高松塚古墳、星空を描いたキトラ古墳。二つの壁画古墳から、古代飛鳥の美意識と宇宙観をたどります。
前回は、日本初の本格的な都城として築かれた藤原京と、その中枢である藤原宮跡を訪ねました。
今回はふたたび飛鳥の地へ戻り、教科書でもおなじみの極彩色壁画で知られる二つの古墳、高松塚古墳とキトラ古墳を訪ねます。
この二つの古墳は、築造された時期も石室の構造もよく似ており、しばしば「兄弟古墳」のように並べて語られます。
しかし、石室に描かれた世界を見てみると、その印象はずいぶん違います。
一つは、華やかな衣装をまとった人物たち。
もう一つは、四神や十二支、そして天井いっぱいに広がる星の世界。
どちらも盗掘や長い歳月による劣化を乗り越え、千年以上の時を経て私たちの前に姿を現しました。
同じ時代、同じ飛鳥の地に造られた二つの石室は、なぜこれほど違う世界を描いたのでしょうか。
高松塚古墳とは何か
高松塚古墳は、奈良県明日香村平田にある、下段直径約23メートル、上段直径約18メートル、高さ約5メートルの二段築成の円墳です。
壁画発見のきっかけは、意外にも素朴なものでした。
1962年頃、地元の人がショウガを貯蔵するため墳丘の南側に穴を掘ったところ、その奥から凝灰岩の切石が見つかったのです。
その後、1972年に発掘調査が行われ、3月21日、石室内部から極彩色の壁画が発見されました。
「世紀の大発見」と報じられ、日本中が高松塚古墳に注目しました。
古墳は1973年に特別史跡となり、壁画は1974年に国宝に指定されています。
築造時期については、現在では藤原京の時代にあたる694年から710年頃と考えられています。
教科書で見た「飛鳥美人」の世界
石室は奥行約265センチ、幅約103センチ、高さ約113センチ。
決して大きな空間ではありません。
ところが、その小さな石室には驚くほど豊かな世界が描かれていました。
東壁には男子群像、青龍、太陽、女子群像。
西壁には男子群像、白虎、月、そして女子群像。
なかでも有名なのが、西壁に描かれた四人の女性です。
色鮮やかな衣をまとった姿は、いつしか「飛鳥美人」の名で親しまれるようになりました。
教科書で一度は目にしたことのある人も多いのではないでしょうか。
天井には星宿図が描かれています。
そして本来、南壁には朱雀が描かれていたと考えられていますが、盗掘によって開けられた穴のため、その姿を見ることはできません。
石室内からは漆塗木棺の破片や海獣葡萄鏡、棺の金具なども見つかりました。
盗掘を免れて残されたわずかな副葬品も、この石室に葬られた人物の高い身分を想像させます。

キトラ古墳とは何か
高松塚古墳から少し離れた明日香村阿部山にあるのが、キトラ古墳です。
下段直径約13.8メートル、上段直径約9.4メートル。
高松塚古墳よりひとまわり小さな二段築成の円墳で、18個の凝灰岩の切石を組み上げて石室が造られています。
大きな転機となったのは1983年。
ファイバースコープによる調査で、石室北壁に描かれた玄武が確認されました。
高松塚古墳に続く、日本で二例目の大陸風極彩色壁画古墳の発見でした。
その後の調査によって青龍、白虎、朱雀、十二支像、そして天井の天文図などが次々に確認されます。
2000年には古墳が特別史跡となり、2019年には壁画が国宝に指定されました。
四神がすべて残る唯一の壁画古墳
キトラ古墳の大きな特徴は、
青龍・朱雀・白虎・玄武という四神がすべて確認されていることです。
東壁に青龍。
南壁に朱雀。
西壁に白虎。
北壁に玄武。
高松塚古墳では失われてしまった朱雀も、キトラ古墳には残されていました。
四神の下には、動物の頭と人間の身体を持つ「獣頭人身」の十二支像が、方位に合わせて配置されています。
そして、さらに目を引くのが天井です。



天井いっぱいに広がる古代の星空
キトラ古墳の天井には、本格的な天文図が描かれています。
星々だけでなく、天の赤道や太陽の通り道である黄道なども表現されており、本格的な中国式星図として現存する世界最古の例とされています。
さらに東側には金箔で太陽、西側には銀箔で月が描かれました。
千年以上前。
まだ望遠鏡もなかった時代に、人々は夜空を見上げ、星の動きを観察し、そこに一定の秩序を見いだしていました。
その宇宙観が、死者の眠る小さな石室の天井に描かれている。
私はここに、キトラ古墳の不思議な魅力を感じます。
壁画は長い年月の中で劣化が進んだため、2004年から保存のための取り外しが始まり、2010年までに石室内からすべて取り外されました。その後、慎重な保存修理が続けられています。
現在、古墳は墳丘が整備され、壁画は隣接する施設で保存・公開されています。
「兄弟古墳」――似ているようで、まったく違う
高松塚古墳とキトラ古墳
築造されたのはいずれも7世紀末から8世紀初頭頃。
二段築成の円墳で、小さな切石造りの石室を持ち、その内部に漆喰を塗って壁画を描く。
多くの共通点があります。
しかし、二つを見比べてみると、その違いの方がかえって面白く感じられます。
高松塚は「人の世界」
高松塚古墳で最も印象に残るのは、やはり「飛鳥美人」をはじめとする人物群像です。
衣服や髪形、持ち物などからは、当時の人々の服飾や宮廷文化を垣間見ることができます。
古代の人々が、急に私たちのすぐ近くへ歩み寄ってくるようです。
キトラは「天と宇宙の世界」
一方のキトラ古墳では、人物群像ではなく、四神、十二支、太陽、月、そして星々が石室を包みます。
そこに描かれているのは、人間の日常というよりも、方角や時間、天体の運行を含む古代の宇宙観そのものなのでしょう。
細部にも違いがあります。
たとえば西壁の白虎。
高松塚古墳の白虎とキトラ古墳の白虎では向きが異なります。
また天井の星図も、高松塚古墳が星宿を象徴的に表現しているのに対し、キトラ古墳では赤道や黄道などを備えた、より本格的な天文図が描かれています。
同じ飛鳥の壁画古墳でありながら、一方は「人」を、もう一方は「宇宙」を強く感じさせる。
この対照が、二つの古墳を一緒に見る面白さなのだと思います。

石室に眠っていたのは誰なのか
これほどの壁画に囲まれて眠った人物は、いったい誰だったのでしょう。
残念ながら、高松塚古墳もキトラ古墳も、被葬者は確定していません。
高松塚古墳からは成人男性とみられる人骨が見つかっています。
被葬者については、皇族や上級官人など、さまざまな説が唱えられてきました。
キトラ古墳についても同様です。
皇族説、有力官人説、渡来系の人物とする説などがありますが、いずれも決定的な証拠はありません。
これだけ研究が進んでも、最後のところで名前がわからない。
けれど、それもまた飛鳥らしい気がします。
二つの石室の主が誰だったのか。
その答えは今も、飛鳥の歴史の中に静かに残されています。
人を描いた高松塚、星を描いたキトラ
同じ時代。
同じ飛鳥の地。
よく似た小さな石室。
それなのに、その内部にはこれほど異なる世界が描かれていました。
人の姿を描いた高松塚古墳。
星の世界を描いたキトラ古墳。
どちらも、古代の人々が死者に何を託し、何を祈ったのかを静かに物語る、かけがえのない証人です。
飛鳥には、本薬師寺跡や山田寺跡のように仏教が根づいていく時代を伝える場所があり、石舞台古墳のように権力者の姿を想像させる場所もあります。
そのなかで高松塚とキトラは、少し違います。
衣服の色。
人の姿。
太陽と月。
そして、夜空いっぱいの星。
目には見えない古代人の美意識や宇宙観まで、私たちに伝えてくれているように思えるのです。
2026年7月26日、高松塚古墳とキトラ古墳を含む「飛鳥・藤原の宮都」は、ユネスコ世界遺産一覧表への記載が正式に決定しました。
千年以上、飛鳥の土の中で守られてきた二つの小さな石室。
いま、その価値は日本だけでなく、世界へと受け継がれていくことになりました。
ーー情報・交通ーー
高松塚古墳/高松塚古墳に隣接する高松塚壁画館では、壁画の精密な模写や石槨の原寸模型など を見ることができます。 近鉄🚃飛鳥駅から徒歩🚶圏内です。
キトラ古墳/キトラ古墳に隣接するキトラ古墳壁画体験館 四神の館では、キトラ古墳や壁画について詳しく学ぶことができます。 近鉄🚃壺阪山駅から徒歩🚶約15分です。
ーー参考ーー
実物の国宝壁画についても期間限定で公開されており、公開される壁画や期間はその都度異なります。見学前には文化庁の最新情報を確認することをおすすめします。
ーー関連記事ーー
「飛鳥・藤原の宮都」全19資産/葛城古道(上・下)/飛鳥寺とは/飛鳥宮跡/石舞台古墳/
飛鳥・藤原の宮都|モデルコース
番外編/飛鳥寺名遍歴/蘇我馬子と仏教受容(上・下)/乙巳の変/聖徳太子と推古天皇/
仏師|鞍作止利/他
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