比叡山延暦寺最澄が開いた「日本仏教の母山」を歩く|根本中堂と不滅の法灯へ

奈良。時々京都。

 最澄が開いた比叡山へ。根本中堂、不滅の法灯、日本仏教の始まりをたどります。

飛鳥から始まった寺社めぐりを続けていると、いつか訪ねてみたくなる山があります。

それが、京都と滋賀の境にそびえる比叡山です。

比叡山延暦寺は天台宗の総本山。そして、日本仏教の歴史をたどろうとすれば、どうしても避けて通ることのできない場所でもあります。

法然、親鸞、栄西、道元、日蓮――。

後の日本仏教を大きく動かす僧侶たちの多くが、この山で学び、修行しました。

そのため比叡山は、いつしか「日本仏教の母山」と呼ばれるようになります。

けれど、その始まりは決して巨大な寺院ではありませんでした。

一人の若い僧が山に入り、小さな草庵を結んだことから始まります。

その僧が、最澄です。

今回は比叡山延暦寺を二回に分けて歩きます。

第一回は延暦寺発祥の地である東塔へ。

最澄はなぜこの山に入ったのか。

そして根本中堂に灯され続ける「不滅の法灯」は、1200年余りの時間を経た私たちに何を伝えているのでしょう。

比叡山延暦寺は「一つのお寺」ではない

「延暦寺」と聞くと、一つの大きな本堂を中心に建物が並ぶ寺院を想像するかもしれません。

ところが実際に比叡山を歩くと、その印象は大きく変わります。

延暦寺は、東塔・西塔・横川という三つの地域から成り立っています。

これを「三塔」と呼び、広い山中に数多くの堂宇が点在しています。

東塔は、最澄が最初に修行の場を開いた延暦寺発祥の地。総本堂である根本中堂を中心に、大講堂、阿弥陀堂、法華総持院東塔などがあります。

西塔へ進めば、常行堂と法華堂からなる「にない堂」や釈迦堂。

さらに山深い横川には、横川中堂や元三大師堂があり、同じ比叡山でも空気が少しずつ変わっていきます。

つまり延暦寺とは、一つの建物の名前というよりも、比叡山そのものに広がる大きな修行と祈りの空間なのです。

全部を一度に回ろうとすると、どうしても移動に追われます。

今回は欲張らず、まず東塔を歩くことにしました。

比叡山では、急いで数を見るより、一つひとつの堂宇の間を歩く時間そのものが大切なように思います。

最澄は、なぜ山へ入ったのか

比叡山を開いた最澄は、近江国に生まれました。

後に「伝教大師」と呼ばれる人物です。

若くして仏門に入り、延暦4年(785年)、奈良の東大寺で具足戒を受けました。

これで国家公認の僧侶として、大寺院で活躍する道も開かれたはずでした。

ところが最澄は、その道を選びません。

奈良を離れ、故郷近くの比叡山へ入ります。

そして山中で修行の日々を始めました。

なぜだったのでしょう。

当時の奈良仏教は、国家と深く結びつき、大寺院は大きな力を持っていました。

もちろん、それ自体が悪かったという話ではありません。

ただ最澄は、そうした世界から一度離れ、仏教とは何か、人はどう生きるのかという根本に向き合おうとしたのではないでしょうか。

延暦7年(788年)。

最澄は山中に一乗止観院を建て、自ら刻んだと伝わる薬師如来を安置しました。

これが、後の根本中堂につながっていきます。

この時点では、まだ平安京はありません。

桓武天皇が都を平安京へ移すのは、それから6年後の延暦13年(794年)のことです。

平安京が築かれると、都の北東に位置する比叡山は、やがて鬼門を守る山としても重要な存在になっていきました。

けれど、最澄が最初にこの山へ入った理由をそれだけで説明することはできません。

彼がまず求めたのは、世俗から距離を置き、ひたすら学び、修行する場所だったのでしょう。

杉木立の間を歩いていると、その気持ちが少しだけ分かるような気がします。

町なかのお寺とは違い、堂宇から次の堂宇へ向かうにも坂道があります。

木々があります。

風の音があります。

歩いているうちに、いつの間にか「観光地を見に来た」という感覚が薄れ、山の中に身を置いている自分に気づきます。

ここなら確かに、考える時間はいくらでもありそうです。

根本中堂へ|最澄の祈りが始まった場所

東塔の中心にあるのが、延暦寺の総本堂根本中堂です。

その始まりは、最澄が建てた一乗止観院でした。

現在の根本中堂は国宝に指定され、比叡山の信仰の中心として今も多くの人が訪れます。

堂内へ入ると、外から眺めたときとはまた違う感覚があります。

華やかさより、まず暗さと静けさを感じます。

そして、その奥に本尊の薬師如来が祀られています。

ここで思い出したいのが、最澄が比叡山で何を目指したのかということです。

一部の特別な人だけが救われるのではない。

すべての人に仏となる可能性がある。

法華経を根本とする最澄の思想には、そんな大きな願いがありました。

山に小さな堂を建てた一人の僧の祈りが、やがて日本仏教そのものに大きな影響を与えていく。

根本中堂に立つと、その始まりの場所に自分も立っているのだと思わされます。

なお根本中堂では現在、大規模な保存修理が続いています。

工事中だから残念――ではなく、長い歴史を次代へ残すために、人が手を入れ、守り続けている「現在の比叡山」を見る機会でもあります。

1200年余りを照らす「不滅の法灯」

1200年余りを照らす「不滅の法灯」

そして根本中堂で、どうしても見ておきたいものがあります。

不滅の法灯です。

延暦7年(788年)、最澄が一乗止観院を建てた際、薬師如来の前に灯明を供えたと伝えられています。

その灯は、弟子から弟子へと受け継がれ、1200年余りを経た今も守り続けられています。

小さな火です。

けれど、その火の向こうには途方もない時間があります。

もちろん比叡山の1200年は、穏やかな歴史ばかりではありません。

火災もありました。

戦乱もありました。

元亀2年(1571年)には、織田信長による焼き討ちによって根本中堂をはじめ多くの堂宇が焼失しています。

それでも、祈りは途絶えませんでした。

建物を建て直す人がいた。

教えを伝える人がいた。

灯を守る人がいた。

そう考えると、「不滅」という言葉は、火そのものだけを指しているのではないように思えてきます。

最澄が灯したものを、次の人へ渡す。

受け取った人が、また次へ渡す。

その繰り返しが1200年続いているのです。

暗がりの中で揺れる灯を見ていると、1200年という数字が、急に遠い昔の話ではなくなります。

飛鳥寺で仏教が日本へ根づき始めた時代を思い、斑鳩では聖徳太子の足跡を追いました。

そして比叡山で、この小さな灯を見る。

すると今まで訪ねてきた場所が、一本の線でつながっていくように思えます。

だから歴史は面白い。

一つのお寺を見て終わりではなく、その先にまた次の時代が待っています。

なぜ比叡山は「日本仏教の母山」なのか

比叡山の影響は、天台宗の枠だけには収まりませんでした。

平安時代末から鎌倉時代にかけて、この山で学んだ僧たちの中から、日本仏教の新しい流れを切り開く人物が次々と現れます。

浄土宗の法然。

浄土真宗の親鸞。

臨済宗の栄西。

曹洞宗の道元。

そして日蓮宗の日蓮。

後世から見れば、まったく異なる宗派の開祖たちです。

しかし、その人々の若き日の学びをたどると、比叡山へ戻ってきます。

ここが面白いところです。

同じ山で学びながら、同じ答えにはたどり着かなかった。

「人はどうすれば救われるのか」

その問いに、それぞれが自分なりの答えを探し、やがて山を下りていったのでしょう。

比叡山が「日本仏教の母山」と呼ばれる理由は、単に多くの有名僧を輩出したからだけではないのかもしれません。

この山が、多くの人に問いを持たせた場所だったからではないでしょうか。

大講堂|祖師たちが並ぶ不思議な空間

根本中堂から少し歩くと、大講堂があります。

現在の大講堂は昭和39年(1964年)、山麓の坂本にあった讃仏堂を移築したものです。

本尊は大日如来。

そして堂内には、最澄だけでなく、比叡山で学んだ各宗派の祖師たちの像が祀られています。

ここへ来ると、「日本仏教の母山」という言葉が急に具体的になります。

法然も、親鸞も、栄西も、道元も、日蓮も。

後の歴史では別々の宗派として学ぶ人物たちが、比叡山という一つの場所でつながっています。

歴史の教科書では別々のページに登場していた人たちが、ここでは同じ山の物語の中にいる。

それだけでも、少し不思議な感じがします。

阿弥陀堂から法華総寺院東塔へ

東塔には、まだ歩いておきたい場所があります。

大講堂からさらに進むと、阿弥陀堂と法華総持院東塔があります。

阿弥陀堂は昭和12年(1937年)に建立された先祖回向の道場で、本尊は阿弥陀如来です。

根本中堂とはまた違った、静かな祈りの空間があります。

その隣に立つのが、法華総持院東塔。

現在の塔は昭和55年(1980年)に再興されたものです。

比叡山というと、どうしても「1200年の古刹」という目で見てしまいます。

けれど、ここには新しい建物もあります。

古いものをただ保存しているのではありません。

建て直し、修理し、祈りを続ける。

比叡山の歴史は、今も進んでいるのです。

ドライブウェイより見た琵琶湖

比叡山は、歩いてこそ見えてくる

東塔だけでも、かなり歩きます。

坂道もあります。

石段もあります。

けれど、それが比叡山なのだと思います。

根本中堂だけを見て帰れば、「国宝を見た」という記憶になるかもしれません。

けれど杉木立を抜け、大講堂へ歩き、さらに阿弥陀堂へ向かう。

その途中で何度も立ち止まる。

すると少しずつ、この山が単なる寺院ではなく、長い時間をかけて築かれた修行の場所だったことが体で分かってきます。

全部を見ることより、歩くこと。

知識を覚えることより、時々立ち止まること。

比叡山では、そんな旅の仕方が似合うように思います。

今回は延暦寺発祥の地・東塔を歩きました。

けれど比叡山は、まだまだ奥へ続いています。

東塔が最澄の「始まり」を感じる場所なら、西塔と横川には、その後1200年にわたって広がっていった比叡山の修行と信仰の姿が待っています。

さて、もう少し山の奥へ歩いてみましょう。

一一情報・交通一一  
注)参拝時間や料金、堂宇の公開状況は季節・行事・天候によって変更されることがあります。
特に冬季は交通機関の運休や降雪による影響も考えられるため、出発前に比叡山延暦寺および交通機関の公式サイトで最新情報を確認してください。
🚌京都駅|京都駅と延暦寺バス🚌センターを結ぶ比叡山ドライブバスを利用すると、乗り換えなしで東塔近くまで向かえます。約70分程。季節運行や冬季運休となる場合があるため、事前確認が必要です。
🚃滋賀・坂本側|JR湖西線🚃「比叡山坂本駅」or京阪🚃石山坂本線「坂本比叡山口駅」→徒歩🚶‍➡️ケーブル坂本駅へ。坂本ケーブルを利用する方法があります。ケーブル延暦寺駅から東塔エリアまでは徒歩🚶‍➡️約10分です。
京都・八瀬からケーブルもあります(頂上に着くため山内シャトルバスなど利用できます)

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