岡寺(龍蓋寺)を歩く|日本最大の塑像・如意輪観音と厄除け信仰、花に包まれる飛鳥の古寺
正式には東光山真珠院龍蓋寺(りゅうがいじ)。
けれど古くから、「飛鳥の岡にある寺」という親しみを込めて岡寺と呼ばれてきました。
西国三十三所観音霊場の第7番札所。そして日本最初の厄除け霊場として知られる寺でもあります。
しかし私が岡寺で一番心に残るものを一つ挙げるなら、やはり本堂に坐す大きな如意輪観音でしょう。
高さ約4.85m。
土から造られた、日本最大の塑像です。
岡山の中腹に建つ、飛鳥の古寺
岡寺の創建については、寺伝では天智天皇(第38代)の勅願によって義淵僧正が建立したと伝えられています。
義淵は、飛鳥時代末から奈良時代初めに活躍した高僧です。
草壁皇子の岡宮を与えられ、そこを寺としたことが岡寺の始まりともされています。
義淵という人物は、日本仏教の歴史をたどっていくと、なかなか興味深いところに立っています。
後に民衆から「菩薩」とまで呼ばれる行基、東大寺の建立に深く関わった良弁ら、奈良時代を代表する僧たちと結びつく人物です。
大宝3年(703年)には「僧正」に任じられたとされ、日本仏教界の中心に立った高僧の一人でした。
飛鳥というと、どうしても聖徳太子や蘇我馬子、中大兄皇子といった政治史の人物に目が向きます。
けれど、そのすぐ隣では仏教そのものを受け継ぎ、次の奈良時代へ渡していった人々もいた。
岡寺を訪ねると、その流れが少し見えてくるように思います。

なぜ「龍蓋寺」という名前なのか
ところで、正式名称の「龍蓋寺」。
少し変わった名前です。
寺には面白い伝説が残されています。
昔、このあたりを荒らして人々を苦しめる悪龍がいたといいます。
義淵僧正は法力によってその龍を池に封じ込め、大きな石で蓋をしました。
龍に蓋をする。
そこから「龍蓋寺」と呼ばれるようになったというのです。
境内には今も龍蓋池が残っています。
もちろん伝説です。
けれど「災いをもたらす龍を鎮める」という話と、後に岡寺が厄除けの寺として信仰されていったことを重ねてみると、なかなか面白いものがあります。
昔の人にとって、災いとは今よりずっと身近なものだったのでしょう。
病、飢饉、天災。
人の力ではどうすることもできないものに向き合ったとき、祈る場所が必要だった。
その一つが岡寺だったのかもしれません。
本堂で出会う、日本最大の塑像
そして岡寺で、ぜひゆっくり向き合いたいのが本尊・塑造如意輪観音坐像です。
奈良時代に造られた重要文化財で、像高は約4.85m。
現存する塑像として日本最大とされています。
塑像とは、木などで芯を作り、その上に粘土を重ねて形を整えていく仏像の技法です。
木像や金銅仏とは違い、材料は「土」。
それだけに長い年月を経て残ることが難しく、奈良時代の巨大な塑像が今も目の前に存在していること自体が貴重です。
本堂に入り、観音さまを前にすると、まずその大きさに驚きます。
けれど不思議なことに、威圧される感じはありません。
大きい。
とても大きい。
それなのに、静かです。
白い姿でこちらを見守る観音さまの前に立っていると、大きさよりも、その穏やかさの方が次第に心に残ってきます。
実は珍しい「二本の手」の如意輪観音
ここで少し仏像のお話を。
「如意輪観音」と聞くと、六本の腕を持ち、頬に手を添えて思索するような姿を思い浮かべる方も多いと思います。
ところが岡寺の観音さまは違います。
腕は二本。
右手を上げて施無畏印を結び、左手は掌を上に向けた与願印を結んでいます。
現在一般的に知られる六臂の如意輪観音像が広まる以前の古い姿を伝えていると考えられています。
西国三十三所でも、こうした二臂の如意輪観音を本尊とするのは岡寺と石山寺という、非常に珍しい存在です。
「如意輪観音だから、如意宝珠と法輪を持っているはず」
そう思って見ると、少し様子が違う。
仏像は、名前を知るだけでなく、姿を見ると時代まで見えてくる。
だから面白いのです。
日本最初の厄除け霊場
岡寺は「日本最初の厄除け霊場」を掲げています。
長い年月にわたり、本尊は「やくよけの観音さま」として人々の信仰を集めてきました。
悪龍を鎮めたという義淵僧正の伝説も、岡寺の厄除け信仰につながる由来の一つとされています。
厄除けというと、何か悪いことが起きないようお願いするもの、と考えがちです。
けれど長い歴史の中では、それだけではなかったのではないでしょうか。
病気になった。
家族のことが心配だ。
これから先が見えない。
どうにもならないことを抱えながら、それでも人はここまで上ってきた。
そして観音さまの前で手を合わせた。
そう考えると、厄除けという言葉も少し違って見えてきます。
願いを叶えてもらうためだけではなく、一度自分の心を静かに置いて帰る。
そんな場所でもあったのかもしれません。
西国三十三所、第7番札所として
岡寺は西国三十三所観音霊場の第7番札所です。
西国三十三所は、近畿地方を中心に33の観音霊場を巡る、日本を代表する巡礼の道です。
岡寺にも、御朱印帳や納経帳を持った巡礼者の姿があります。
寺を一つ訪ねて終わる旅とは少し違う。
一番、一番と観音さまを訪ねながら歩いていく。
それを繰り返していくうちに、歩くことそのものが祈りになっていったのかもしれません。
飛鳥寺や橘寺を巡る歴史散策の途中に岡寺を加えても、また違った飛鳥が見えてきます。
ここでは「政治の飛鳥」だけではなく、「祈りの飛鳥」に出会えます。

仁王門をくぐり、境内を歩く
現在の岡寺には、長い歴史を伝える建物も残っています。
まず境内の入口に立つ仁王門。
慶長17年(1612年)の建立で、国の重要文化財です。
また古書院も国指定重要文化財。
一方、本尊を安置する現在の本堂は文化2年(1805年)に上棟された建物で、奈良県指定文化財となっています。
4mを超える大きな本尊を安置しているため、本堂も堂々としています。
古い寺を歩いていると、つい「創建当時からここに建っている」と思ってしまいます。
しかし実際には、火災や風雨、戦乱などをくぐり抜け、そのたびに建て直され、修復されてきました。
岡寺も同じです。
1300年という歴史は、一つの建物が1300年間そこに立ち続けたという意味ではありません。
壊れては直し、失われては再び建てる。
その繰り返しによって寺は残ってきました。
それもまた「寺を守る」ということなのでしょう。
もう一つの岡寺ーー花の寺
歴史と仏像の話ばかりしてきましたが、岡寺にはもう一つ、とてもやわらかな顔があります。
花です。
春から初夏にかけて境内を彩る花々、紫陽花、そして季節ごとの花。
石段や堂宇の周囲に色が加わると、古寺の景色がまったく違って見えてきます。
歴史ある寺だからといって、ずっと難しい顔をして歩く必要はありません。
観音さまに手を合わせた後は、少しゆっくり境内を歩く。
花を見つけたら立ち止まる。
山の空気を吸う。
それくらいが岡寺には似合っているような気がします。


奥之院へーーさらに静かな場所へ
時間と足に余裕があれば、本堂からさらに奥之院へ。
木々の中を進んでいくにつれ、本堂周辺とはまた違った静けさになっていきます。
飛鳥の平地から岡寺へ。
仁王門をくぐり、本堂へ。
さらに奥之院へ。
少しずつ山の奥へ入っていくその道そのものが、日常から離れていく時間のようにも感じられます。
急がず歩くのがいい場所です。
飛鳥の歴史は、岡寺で奈良時代へつながる
飛鳥寺では、日本に仏教が根づこうとしていた時代を見ることができます。
橘寺では、聖徳太子の記憶に触れます。
そして岡寺まで来ると、その時間は少し先へ進みます。
義淵、行基、良弁。
飛鳥で芽を出した仏教が、やがて奈良時代の大きな仏教文化へと育っていく。
岡寺の大きな塑像の観音さまは、その途中に立っている仏さまなのかもしれません。
飛鳥は、飛鳥時代だけの場所ではありません。
時代はそこで途切れることなく、奈良へ、そしてその先へ続いていきます。
岡寺を訪ねてみると、その当たり前のことを改めて感じます。
そして最後はやはり、あの観音さま。
高さ4.85m。
土で造られた大きな仏さまが、1300年近い時間を越え、今も静かに人々を迎えています。
いったい、どれほど多くの人がこの前で手を合わせてきたのでしょう。
そんなことを考えながら、もう一度振り返って本堂を後にしました。
一一情報・交通一一 近鉄🚃橿原神宮前駅・東口or飛鳥駅より明日香周遊バス🚌→岡寺下車→徒歩🚶➡️10分程。 ⚠️)明日香周遊バス🚌は時間は公式サイトで確認して下さい。
ーー関連記事ーー
番外編
飛鳥寺名変歴/蘇我馬子と仏教受容(上・下)/大化の改新/他
本編
飛鳥・藤原の宮都/飛鳥寺/法隆寺/広隆寺/法隆寺/他
ーー著書紹介ーー 本を出しました。/8月30日発行
『「私には何もない」そう思っていた』〜人生経験はまだ終わらない。
年齢を重ねたからこそ持っている経験は、AI時代には大きな力になる。
「もう遅い」ではなく、「ここから何が出来るだろう」を考える一冊です。
Amazonで詳細を見る



コメント